Monday, December 19, 2016

オシャレやん(Cool)【師走19日】孤高の登拝140度目(Going-to-the-God Trail)

遅くまで飲み会をしていた人達と入れ違いに、西寒多神社に向かい出立。
丑三つ時過ぎの西寒多神社は、静寂に包まれ人によっては恐い空間なのかもしれないが、登拝人にとっては心地よく。
半月よりちょっと大きめの月でも十分に明るく、月明りのある夜は、西寒多山の住人達は静かなのだ。
登拝道には、人香が残っていた。

週末、いつもより多めの登山者が通ったのではないかな。

登りも下りも8合目展望所からの下界は美しく、真上から撮影する航空写真より斜め45度の方が良い。
冬至が近づきなかなか明るくならず、1時間15分の奥宮入口道の清掃を終えてもまだ暗く、その間ライトをくわえたままなので顎が痛い。
 暗い中掃き清めるスキルは、上達したのではないかな。
奥宮は月明りに照らされ、ライトを消し月明りだけで掃き清める。

月明りで山の上にある神様の庭を、北斗七星を眺めながら独り掃き清めるなんて・・・

オシャレやん(Cool)

登山者が来たらビックリ(気味悪く)すると思うけど。

奥宮の清掃を終える頃、やっと写真撮影ができる明るさになった。
They are all perfect.
入口道を掃き清めることで奥宮に「氣」が流れるようになる。

標高607mとはいえ山の上にある奥宮は寒く、しかしながら、奥宮を囲む木々や拝殿、灯篭、狛犬、落ち葉一枚からは温かみを感じる。

輝石と奇跡【霜月29日】孤高の登拝137度目(Going-to-the-God Trail)
西寒多の「輝石」である石嶺殿。

写真では表現できていないが、眩しいほどに輝くさまに圧倒され言葉を失う。

この感動は、見た人にしかわからない。

古代(約2,000年前)よりこの地に住んでいた大分の民も、きっとこの磐座(石嶺殿)の輝きを見つめながら、何かしらお願い事をしたのではないかしら。
小生の拙い筆舌でも神々しさを伝えることはできず。

シーンという音だけが、鼓膜を刺激し脳にアクセスしてくるのだ。

独り静かに西寒多の神の前に立つ。

オシャレやん(Cool)
ヨセミテ国立公園の「Firefall(火の滝)」

西寒多の「輝石」も上手な人が撮影すれば、もっと素晴らしい写真になり、皆様にお伝えすることができるのだが、如何せん小生のパカパカ携帯のカメラでは・・・。

大分のプロ・アマのカメラマンさん、お願いします!

今日現在、7:15から数分間だけの輝き(冬季のみ)。
気分よく下界へ戻る。

途中、小さい山の住人達が走りまわる音が何度か聞こえた。
 尾根に出ると暖かく、谷面になると穏やかなひんやりが心地良く。
西寒多神社で清掃するTさんと話をする。

小生が、奥宮の清掃を続けられているのは、Tさんが毎朝されている姿を見てのこと。

そして、それが日々のゴミ拾いにも繋がり、20,000kmまで続けることができている。

その事について感謝の気持ちを伝えた。

「Tさんの真似事をして・・・」と言うと、Tさんはちょっと照れた笑顔で「私も真似事ですよ」と。

Tさんが、現在恐らく最も西寒多神社に詳しい方であり、最後の口伝師ではなかろうか。

紙に記録されていないことについて、どなたかがTさんにお聞きして記録しておく必要があるのではないかなと思っている。

朝の参拝をルーチンにされている日記名「西寒多マダムズ(3名)」にもお会いした。

変わらずお元気そうで何より。

良い一週間になりそうだ。

素晴らしい一週間にしたい。

Wednesday, December 7, 2016

軌跡は奇跡【2016.12.7】孤高のゴミ拾い: 20,003km/12,429mi

お蔭様で「孤高のゴミ拾い」は、20,000kmを通過しました。

私はボランティアではなく、しがない「孤高のゴミ拾い人」です。

生まれ持っての三日坊主の私が、大分のゴミを20,000km拾い歩くというのは、奇跡的な出来事であります。

・肥後街道: 124km
・大分市佐賀関~肥後街道~長崎: 250km
・東海道: 500km
・奥の細道: 2,400km
・ルート66: 3,755km
・シルクロード: 7,000km
・母をたずねて3,000里(マルコ・ロッシ): 12,000km
・天竺まで(三蔵法師シルクロードコース): 15,000km
地球半周: 20,000km ←今ココ
・地球1周: 40,000km
・月まで: 380,000km
・イスカンダルまで(1974年): 14万8千光年(現在 15万7千光年)

【Auckland, New Zealand-Dubai, UAE】(世界最長の飛行ルート)
フライト距離: 14,193km/ 8,819 miles
フライト時間: 17時間20分
バウンド: Dubai
航空会社: Emirates (Boeing 777-200LR)
「まぁ~まぁ~拾っとるやないか」と思いますけど、ポイ捨てゴミは増えるばかりで結果を出せていません。

プロセスは大切ですが、結果を出せないということは、やってないのと同じことでもあると言えます。

「目的」が、いつの間にか「手段」になる悪い癖がある日本ですが、ポイ捨てゴミ問題にも同じことが言えるのではないでしょうか。
美徳(excellence)は、訓練と習慣の賜物である。 
我々は、あらかじめの美徳が具わっていたり、卓越した能力があるからこそ正しい行動ができるのではなく、正しい行動をするからこそ、美徳や卓越した能力が得られるのである。

我々が何であるかは、我々が繰り返し何を行ったかによって決まるのである。
それゆえ、美徳は行いではなく、習慣なのである。

~アリストテレス~
現在は、日々コツコツとゴミを拾う「習慣」よりも、いかに目立つように拾うかという「行い」が優先される(良しとされる)社会です。(ゴミ拾いだけのことではなく)

その結果、ゴミはいつも目立つ場所で拾われるようになり、机の上は一見キレイになったように見えるも、それは机の下に落としているだけなのです。

ある特定の場所のゴミが少なくなっても、人間の性根というものは簡単に変わるものではなく、違う場所(机の下)に捨てられているのです。

私は、「行い」の方々が拾わない机の下のゴミを20,000km拾ってきました。

---
最初は、現在のゴミ拾いルートより長い距離を毎日走ったり歩いたりしていました。

その内、大分川・七瀬川の土手沿いのゴミが特に気になりはじめ、日々のゴミが増え続けることに見て見ぬふりができなくなってきました。

そして、レジ袋を持って拾い始めたのですが、それではどうにもならない状態でしたので、大きなゴミ袋を持って歩くようになりました。

現在は、毎日拾っているので完璧ではないにしろ、拾い始める以前に比べると雲泥の差です。(ルート周辺のコミュニティの方々に聞いていただければわかります)

この町に住んでいると、耳障りのいことばかりが耳に入ってくることが多く、しかしながら現実とは異なることも多々あり、それはポイ捨て問題も同じことで、口だけ出して何もしないというのでは意見する資格もなく、自らの足で確認してみることにしました。
---
たまに拾うと「たまたまその時だけの話でしょ」、狭いエリアだけを拾うと「たまたまそこだけの話でしょ」と言われる方も多く、10近いコミュニティを通り抜け15km、盆正月関係なく拾って歩きました。

無理をせず、義務感を背負い込まず、惰性にならないような工夫は必要で、そこは試行錯誤しながらです。

最初の頃は拾うのが下手で、食べ残しや飲み残しが服や靴に掛かったりすることも多く、「明日は今日よりもっと上手に拾おう」というように、日々課題をもってやっていました。

それは、今も変わりません。

拾い始めた当初は、人様の目が気になりましたが、今は気になりませんし、気にしていたらできません。

「私も拾おうと思うのだけど、恥ずかしくて・・・」という女性に声を掛けられることもあり、その気持ちはよくわかります。
---
「怒りがパワーになる」ということもありますが、ゴミ拾いは怒りの気持ちがあってはできません。

「なぜ、他人が食い散らかした、飲み散らかしたゴミを拾わなければならないんだ!」と思うと、ゴミなど拾えるものではありませんし、捨てた人に対して強く当たってしまう事もあるかもしれません。

それは、私のスタイルではないです。

私がゴミを拾っている姿を見て、ゴミを捨てる人がどう思うのかはその人次第です。

私(誰か)が毎日拾っていることに気付いていても、同じ場所に毎日捨てる人達もいます。

彼らに対して怒りの気持ちはなく、教育をされずにいい歳をした大人になってしまったことは、お気の毒だと思います。

躾をされていないのだからできないのは、人間もワンちゃんも同じです。

親が捨てれば子も捨てるのは当然です。

大人が手本になれないのです。

怒っても何も解決しません。
---
とどのつまり「教育論」になるのですが、ゴミ拾い中に出会う人生の大先輩方は、皆さん厳しい論調です。

「ポイ捨てゴミ=子供(高校生以下)」と決めつけているシニアの方達が多いのですが、それは大きな間違いです。

歳が上になるほど性質が悪くなりますから。

教育論を語れるほど成熟した人間ではないので、自分は黙して拝聴していますが、子供ちゃんだけの責任にしている方には「それは、違います」と柔らかく意見させてもらっています。
---
拾い始めてしばらくの間、コミュニティの方々には、警戒されていたと思います。

見ず知らずの胡散臭い男が、いきなりゴミ袋を持ってコミュニティに毎日やってくるわけですから、それは当たり前のこと。

奇異な目で見られていることは感じていましたし、職質のように声を掛けられることも何度かありました。

1年を過ぎた辺りから皆さんとよく話をするようになり、今日まで皆様に親切にしてもらっています。

「どこんしか?(どこの人か)」「仕事はなにしよんか?」「ゴミ拾っていくらもらいよんか?」「市役所んやつか?」などと、挨拶もなしに結構不躾な言葉を浴びせられることもありました。

「あそこにも落ちちょるやろうが。ちゃんと拾え!」と言われることもあれば、若い人とすれ違った時に、「俺は、ああいう偽善が嫌い」と言われたことも。

そういう方達は、どうやら私がゴミを拾っていることをよく思っていないのか、挨拶をしても無視されますが、最近は姿をお見掛けしなくなりました。

今では毎度おなじみとなり、皆さんと立ち話をし、私のような若輩に防止をとって丁寧に頭を下げて下さり、川の対岸からでも大きく手を振り、車中からもスピードを緩めて声をかけて頂き、中には手を合わせて下さるお婆ちゃんまでも。
---
20,000kmまでは同じスタイルで続けていこうと考えていました。

しかしながら、20,001kmからについては、今のモチベーションだけでは難しいです。

拾った24時間後に拾った以上に捨てられる毎日を繰り返すだけでいいのだろうかと。

山河(海)にゴミを捨て、田畑に投げ捨て、人様のお墓やお地蔵様にも投げつける人が多い大分の町です。

このままで大丈夫なのか?
---
ゴミが多い所は、命が亡くなる場所でもあるのです。

ゴミ拾いルート上では焼身自殺があり、首つり自殺があり、死体遺棄現場があり、溺死があり・・・。

ちょっと前にも自殺があったのですが、その前日にその人を対岸からお見掛けしていたんです。

焼身自殺と死体遺棄現場では、まさにそこのゴミをピンポイントで拾っており、そういう所はゴミが多いのです。

つい先日、いつもお会いするコミュニティの方に「以前、ここでどなたか亡くなりましたか?」とお尋ねすると、数年まに事故で亡くなられた方がいると。

「貴方、霊感とかあるんかい!?」と驚かれていましたが、それは霊感ではなく経験でわかるようになるのです。

毎年焼身自殺の日には、ゴミ拾い途中にお線香を1本、人間にひき逃げされた動物に出くわした時にも翌日にお線香を1本。(毎日そこのゴミを拾うので)

焼身自殺は、さすがにショックを受けました。

最近、子供ちゃんや若い人達の自殺のニュースを見聞きすると考え込んでしまいます。

一度、土手下で異様な空気を醸し出している自殺志願者(自称)を見かけ、「こんにちは」と声を掛け、結構長い時間話しをしました。

ゴミを拾っている理由を聞かれたので、私の胸の内を話しているうちに彼の顔色は良くなり、ご家族が待つ長崎に戻られました。

ママに怒られた子供ちゃんが、川の淵で泣いていることもありました。

最近、川で遺体を発見というニュースが多いのですが、「いつか自分も発見するのでは・・・」と思わなくもなく、覚悟というか心の準備はしています。
---
大分の人達には興味をもたれない「孤高のゴミ拾い」なのですが、別に英語で書いていることもあり、海外からメッセージや質問を頂戴することがあります。

アメリカの新聞社の方から「10,000マイルゴミを拾い歩くなんて、インドの山奥で修行している僧侶でもできないことだ」とメールを頂戴しました。

その時に「世界で一番ゴミを拾い歩く人」として紹介してくれるということだったのですが、「20,000kmに到達するまでは」と保留にして頂きました。

「行為は自分のもの、評価は人のもの」でよいですが、「できることではない」「感銘を受けている」「長く生きてきて貴方みたいに人を初めて見た」「前人未踏の領域」と、人生の先輩方、外国の方々に言われて、正直悪い気はしません。

皆様にイロイロなお話しを頂戴するのですが、20,001kmからの方向性も決まっておらず、年内はじっくり考えるつもりです。

「4年以上、20,000kmも拾い歩いていると嫌でも目につくと思うのだが、大分というで町は何も変化が起きないのか?」というのが、皆様の疑問です。

私の周囲の大分人と大分を知っている人達は、「それが大分」と言います。

ゴミ拾い道中、多くの人生の大先輩方にお会いするのですが、政に携わっていた方、自治体OB、教育OB、ローカルメディアOB、ゴミ関係のお仕事をなさっていた方もいらして、皆様イロイロな話を聞かせてくれます。

「難しい町だな・・・」と、ブルーな気分になってしまうことも多く。
---
本ブログのゴミ関係は、ネットの向こう側から届いたメッセージのアンサー的に意見を書いていることも多く、ポイ捨てゴミの件はネガティブなので、それを何度も書くとグチグチ文句を言う人のように思われるのではないかなと反省もしています。

一度やめようとしたのですが、「貴方が自分の足で得た事実を書かないで誰が書く」「記録を残すべき」というご意見を人生の先輩方から頂戴しましたので続けさせてもらっています。

グチグチ書くのはやめようと思います。
---
長く続けられている一番の要因は、10年近く冷暖房なしの生活をしていることではないでしょうか。

最初の数年は大変でしたが、ここ5年くらいは風邪をひかず、冷暖房に慣れきった生活をしていたら、春夏秋冬毎日15kmの「孤高のゴミ拾い」(「孤高の登拝」も)はできなかったと。

まずはそこから始めることです。
---
ゴミを20,000kmも拾い歩いていると、人様には見えないゴミを見つけることができるようになります。

前日に15kmのゴミ拾いルート上にあった小石がなくなっていることにも気づきます。

人間の心の裏側も見えてきます。

自分の心の深淵も。
怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう気を付けなければならない。 
深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめているのだ。 
~ニーチェ~
この町(国)のバケツには穴が開いており、漏れ落ちる以上の水を注ぎ続けることで維持しているのですが、日々その穴は大きくなり、このままでは近い将来底が抜けてしまいます。

ゴミを20,000km拾う私には、漏れ落ちる水の音が聞こえ、それが日々大きくなっていることがわかります。

地方創生・活性化・経済効果など楽しい話に向かう興味とエネルギーの少しを、バケツの穴を塞ごうと泥水・ヘドロの中に自ら手を入れる大分の絶対的マイノリティ達のために使って頂きたいと願います。
---
大晦日まで20,000kmまでの反省、20,000kmからの姿勢について、この町への自分なりの貢献を考えます。
今後ともよろしくお願い致します。

20,000km続けられたことに感謝です。

~甲斐猛則 記~

もうひとつの軌跡

輝石と奇跡【霜月29日】孤高の登拝137度目(Going-to-the-God Trail)

Saturday, April 2, 2016

オムニバス・ライフ~大分市・西寒多神社・本宮山編~

昨晩秋くらいから、神社や神社にまつわるミステリーな件、ゴミ拾いの件について多くの方達からメッセージを頂戴するようになりました。ありがとうございます。
自分は特別な信仰をもたず、特別な能力も持たず、ボランティアではない「孤高のゴミ拾い人」であります。

なんでも心霊に結び付けて考える人もいれば、そうでない人もいます。

真っ暗な山の中を独りで奥宮に向って登拝しているとイロイロとあるでしょう。TVとかで心霊スポットに行き、暗闇で音がすると「出たぁ!」となるでしょ。同伴している霊能者と言われる人までもが一緒になって。

山では風が吹けば音がしますし、夜に活動する動物もいます。

強風の暗闇では、木々がこすれ合う音が人の話し声に聞こえることもありますし、時に頭上から怒号を浴びせてくることもあります。

先日の登拝の時、通過した3秒後に木が倒れ谷下に落ちていきました。西寒多山(本宮山)登拝道と周辺では朽ちた倒木をよく見かけますが、そのほとんどが夜に倒れているのではないかと。登拝中、山のあちこちで木が倒れる音がするのですが、明るくなってからは聞こえず、目撃したことは一度もないです。

「恐くないのか?」と沢山の人に聞かれます。

恐い人にとっては、電灯がついている西寒多神社に独りで参ることも恐いのではないでしょうか?

そこから登拝道に入り、漆黒の沼(池)の横を通り上がっていくのです。

いちいち「出たぁ!」と騒ぐ人が、強風の真っ暗な山に入ると、気絶してしまうかもしれません。

何事も気持ち次第です。神体山に入っているわけですから、これ以上安心な場所はないと思っているのですが。

西寒多神社で「今から奥宮に向います。後程。」とご挨拶してから上がります。ここで大切なのは、「本宮山→西寒多山」「登山道→登拝道」に変換してもらうことをお願いしなければなりません。大分市の本宮山は、パラレルワールドになっているのです。

それで恐くなくなるのですよ。本宮山・登山道なら自分も恐いかもしれません。ただ、暗いので足元にくれぐれも注意なのですが、頭上にも要注意です。

登拝を始めてからみるようになった夢があるのです。

一つ目は、どこか知らない神社に登拝する夢。「いつかそこに行くことがあるのかな。楽しみにしておこう」と思っています。

二つ目は、西寒多神社参道の鳥居をくぐる時、端を歩いていると「真ん中を歩かれよ」という声がしたという夢。それ以来、真ん中を歩いています。

三つめは、登拝道を歩いている自分を遠くからのカメラ目線で見ている夢。その角度は、登拝中に「視線を感じるなぁ」と思っていた方向なのです。自分が自分を見ていたんですね・・・きっと。

真っ暗闇の山を歩いていると、感覚は研ぎ澄まされていくのではないかなと。山の住人達が近くにいると、鳥肌センサーが働くのです。今のところ山の住人達とはうまくやっています。鹿も自分からは逃げず、しばらく見つめあってから「通るよ」と心の中で話しかけるとゆっくり去っていきます。西寒多山に人間が入ってくると、山の住人達が教えてくれますし。


登拝を始めた理由は、未だによくわかりません。

ゴミを拾い始めて1年くらいたった頃、「今日はゴミを拾わず西寒多神社まで歩いて行ってみよう」と思い立ったのが最初でした。清々しい空間で、「凛」として気持ち良かったですね。時間軸もゆったりと。もうひとつの一宮・柞原神社は、「荘厳」とした感じがします。
それから週6日の通常ゴミ拾い、週1日の西寒多神社参拝(ちょっとゴミ拾い)となりました。

何度か西寒多神社を訪れるうちに、登拝道が気になるようになったのですが、奥宮(9合目)まで6kmと書かれているのを見て、「ちょっとなぁ・・・」と足が向くことはありませんでした。

しかしながら毎度毎度気になるので、「一度行ってみるか」と思ったのが、丁度2年前。

そこから始まった登拝です。
「お百度登拝」

週1回のローテーション崩さずに100回続けることができたら、何かひとつお願いごとをしようと。

1回も崩さずに100回続けることができたのですが、特にお願いすることもなく、100回続けられたことに感謝する気持ちだけでした。

最初は、奥宮社殿と磐座前だけを軽く清掃し、登拝道をゴミ拾いをしながら下界に戻り、ゴミを拾いながら帰宅していたのですが、ある時から奥宮入口道・奥宮全体を清掃するこようになりました。

夏はうっそうと木が生い茂り、枯葉は奥宮の「」の通りを悪くし、薄暗くおどろおどろしい空気を醸し出すようになりました。

「あなたが掃き清められよ」

自分が毎日ゴミを拾っている姿は、西寒多山からよく見えるのです。ゴミを拾って1年(約5,000km)続けられた時、西寒多の神は自分を選び、奥宮に導き、奥宮を清めることを命令ではなく感じさせたのではないでしょうか。

それ以外に、自分が朝2:00過ぎに起き、6km歩いて西寒多神社に向い、更に6km登拝道を上がり、1,5-3.0時間かけて奥宮を掃き清め、6kmゴミを拾いながら下界に戻り、そして6kmゴミを拾いながら帰宅をする理由が見当たらないのです。元々、自分はそういう事をするタイプの人間ではありませんでした。

「余計なことをして氏子さんに叱られかも」とも思いましたが、ご理解頂けるのではないかということで、続けさせてもらっています。

盆正月関係なく、天候・体調不良、用事でできない時以外は、毎日15kmのゴミ拾いを続けられているのも、登拝があってのことだと思っています。ゴミ拾いが先に始まったことなのですが、暑い夏、寒い冬も毎日人様の捨てたゴミを15km拾い続けるのは強い心が必要ですので、ボランティア活動としてなら1年が限界だったかもしれません。

今では、「インドの山奥で修行してる僧でもできないぜ」と、アメリカ某所で話題になることもある「孤高のゴミ拾い」です。

夜明けの奥宮は気持ちよく、西寒多の神との会話を楽しみながら清掃させてもらっています。

「人を頼らず、あなた独りで続けなさい」というお言葉を頂戴しました。

人をあてにすると、してくれない時に腹が立つものですが、自分の行動は自分のものです。怒りの感情をもってはゴミを17,000kmも拾い続けることはできません。ポイ捨てゴミは増え続け、憂う気持ちはありますが、それ以外の感情はなくなりました。

大分のマジョリティが選択した道です。

自分は、「絶対的マイノリティ」としての生き方を全うしたいと思っています。


日本の神様は優しくもあり、恐くもあるということは、登拝をしながら感じることはありました。

以前、「西寒多の虎」について書いたことがあります。満月の夜、西寒多山で木々がなぎ倒されていく瞬間を目撃した事のある人は少ないと思います。それは、畏怖です。

「本宮山・磐座に幽霊が出ると聞きましたが・・・」と、以前メッセージをくれた方がいましたが(その後、違う人から数件)、自分には霊感はないので何も見えませんし特別なチカラもありません。逆に磐座前に腰かけていると、あったかい感じがするんですけどね。
ゴミの多い所は、何人もの人間、動物たちが命を落とす場所でもあります。自分が把握しているだけで6人、動物にいたっては数知れず。当然、そこには人が寄り付かなくなり、更にゴミの捨て場となることで強い負の「氣」を発します。

自分はそこのゴミを毎日拾うわけでして、「憑かれるのではないか」と皆さんが心配してくれていました(今はしていませんが)。その点については、恐らく西寒多の神が守護してくれているものだと。それと、ゴミ拾い道中に沢山のお墓の前を通過しゴミを拾っていることで、そこにお眠りのこの地のご先祖様方が、自分に憑こうとしたものに「その人は違うぞ!」と声掛けしてくれているのではないかと思っています。お墓の前を通過する時、あったかい感じがするんです。

ゴミを拾い始めた頃は、見ず知らずの顔の濃いヤツがゴミ袋を持ってウロウロしているので警戒されることも多かったのですが、今は「あなたいい所に逝くわ」と言って下さる方もいますし、車中から手を合わせて下さる方もいます。人生の大先輩方が、自分ごときに丁寧に礼儀正しく頭を下げてくださいます。

日々感謝です。


自分は、神道は宗教だとは思っておらず、日本人としてマニュアルのようなものだと。

一般的に何をもってパワースポットというのかはわかりませんが、ゴミを17,000km以上拾い、107度も登拝を続けるということは、凄いパワーだと思うのですが、どうでしょうか?

皆さんの周囲にも自分の気持ちの持ち方ひとつでパワースポットになる場所はあるのではないでしょうか。

大分県・大分市には、素晴らしいパワースポットがまだまだ存在すると。
同じような内容のメッセージを頂戴するので、改めて思いつくことをそのまま書いてみました。以前の投稿内容と重複していることについては、お許し下さいませ。

Saturday, January 23, 2016

大分市民のポイ捨てゴミとシアトルのホームレスのゴミ【2016.1.23】孤高のゴミ拾い: 16,554km/10,286mi

携帯・デジカメを忘れてゴミ拾いに出たので写真はなしです。前半から大物ゴミを回収したので、今朝もまたなかなか大変なゴミ量でした。
今日明日と雪が降るとのこと。過去の経験から、雪の日は、万が一のために準備しておいたであろうペットボトルに入れた水(車用?)が用済みとなり、そのまま車中より捨てていくというゴミが多いです。雪の日もゴミはいつも通りというのは、過去のデータより。

シアトルの高速道路わきにホームレスさんが捨てていくゴミが社会問題になっています。ゴミ問題ということだけではなく。
大分市のホームレスさんではない一般の市民が、高速道路下に捨てていくゴミです。
写真ではわかりにくいですが、実際はもっと酷く、少しずつ回収していると、その上からまた新たに捨てられていき、なかなか片すことができないでいます。

あちらはホームレスさんで、こちらは一般市民さんなのですが、なんら変わりはないです。

どういうことかは「皆まで言わずとも」ということです。

中国のゴミ問題について報道された時も「中国は・・・」という反応示す大分市民の意見を耳にしましたが、それは大分市の日常の光景でもあります。大分市民の多くは、机の上のゴミだけしか見ておらず、その意識もないため目に入らないのです。または、見て見ぬふり。

こんな感じです。
スラム化進行中の大分市 ① [visit the post]
スラム化進行中の大分市 ② [visit the post]

ゴミを1個拾い100個捨てられます。それを16,500km繰り返しているのですが、こんなに拾っても年々悪化していくばかりです。それでも毎日拾っていますので、数年前よりは七瀬川、大分川(光吉・宮崎サイド)土手沿いはキレイになりました。土手沿線にお住まいのコミュニティの方達にお聞きになって下さればわまります。

これは、ゴミだけの問題ではないです。本気で取り組まなければならない状況であることは明らかなのですが、今日明日人が死ぬようなことでもないですし、時間が掛かり骨が折れることでもあり、にしては結果が見えにくく評価されないことですので、皆さんしたがりません。

誰かがしなくてはならないことですので、日々のゴミ拾いを続けています。

駅前・市街中心部・幹線道路沿いなど机の上のゴミは皆さん拾ってくれますが、机の下を拾ってくれる人数が圧倒的に少ないのです。

「国家」という表現を使うのは日本だけと聞きました。国が家ということは、県も家、市も家、町も家ということなのではないでしょうか。

その家がゴミだらけなのです。山・川・海もゴミだらけ、田畑やお墓・お地蔵様にまでゴミを投げつけていきます。

一体この町で何が起きているのでしょうか?

あるいは、「これでいいのだ!」ということなのでしょうか?

果たして、それを説明できる人がいるのでしょうか?


ゴミ拾いのことについて書くと、否定的な内容が多くなってしまうことについては反省することも多く、口先だけでは説得力・資格もないため、自らが動いて拾います。いつまで続けられるかはわかりませんが、自分が拾えているうちに何とかと。

持論は、「ゴミは拾える人が拾えばいい。捨てないでいてくれたらそれでいい。」です。

皆様のご理解とご協力をお願い致します。

万年筆のノート術

知人がプレゼントしてくれた原稿用紙。 かなり前に製造中止になったKOKUYOさんの万年筆専用ノート(手帳サイズ/ノ-CH2U)のストックが、あと1冊になってしまいました。 KOKUYOさんの 書翰箋(ヒ-211)は、万年筆用のメモ帳としては、自分の中では最高クラ...