Wednesday, December 7, 2016

軌跡は奇跡【2016.12.7】孤高のゴミ拾い: 20,003km/12,429mi

お蔭様で「孤高のゴミ拾い」は、20,000kmを通過しました。

私はボランティアではなく、しがない「孤高のゴミ拾い人」です。

生まれ持っての三日坊主の私が、大分のゴミを20,000km拾い歩くというのは、奇跡的な出来事であります。

・肥後街道: 124km
・大分市佐賀関~肥後街道~長崎: 250km
・東海道: 500km
・奥の細道: 2,400km
・ルート66: 3,755km
・シルクロード: 7,000km
・母をたずねて3,000里(マルコ・ロッシ): 12,000km
・天竺まで(三蔵法師シルクロードコース): 15,000km
地球半周: 20,000km ←今ココ
・地球1周: 40,000km
・月まで: 380,000km
・イスカンダルまで(1974年): 14万8千光年(現在 15万7千光年)

【Auckland, New Zealand-Dubai, UAE】(世界最長の飛行ルート)
フライト距離: 14,193km/ 8,819 miles
フライト時間: 17時間20分
バウンド: Dubai
航空会社: Emirates (Boeing 777-200LR)
「まぁ~まぁ~拾っとるやないか」と思いますけど、ポイ捨てゴミは増えるばかりで結果を出せていません。

プロセスは大切ですが、結果を出せないということは、やってないのと同じことでもあると言えます。

「目的」が、いつの間にか「手段」になる悪い癖がある日本ですが、ポイ捨てゴミ問題にも同じことが言えるのではないでしょうか。
美徳(excellence)は、訓練と習慣の賜物である。 
我々は、あらかじめの美徳が具わっていたり、卓越した能力があるからこそ正しい行動ができるのではなく、正しい行動をするからこそ、美徳や卓越した能力が得られるのである。

我々が何であるかは、我々が繰り返し何を行ったかによって決まるのである。
それゆえ、美徳は行いではなく、習慣なのである。

~アリストテレス~
現在は、日々コツコツとゴミを拾う「習慣」よりも、いかに目立つように拾うかという「行い」が優先される(良しとされる)社会です。(ゴミ拾いだけのことではなく)

その結果、ゴミはいつも目立つ場所で拾われるようになり、机の上は一見キレイになったように見えるも、それは机の下に落としているだけなのです。

ある特定の場所のゴミが少なくなっても、人間の性根というものは簡単に変わるものではなく、違う場所(机の下)に捨てられているのです。

私は、「行い」の方々が拾わない机の下のゴミを20,000km拾ってきました。

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最初は、現在のゴミ拾いルートより長い距離を毎日走ったり歩いたりしていました。

その内、大分川・七瀬川の土手沿いのゴミが特に気になりはじめ、日々のゴミが増え続けることに見て見ぬふりができなくなってきました。

そして、レジ袋を持って拾い始めたのですが、それではどうにもならない状態でしたので、大きなゴミ袋を持って歩くようになりました。

現在は、毎日拾っているので完璧ではないにしろ、拾い始める以前に比べると雲泥の差です。(ルート周辺のコミュニティの方々に聞いていただければわかります)

この町に住んでいると、耳障りのいことばかりが耳に入ってくることが多く、しかしながら現実とは異なることも多々あり、それはポイ捨て問題も同じことで、口だけ出して何もしないというのでは意見する資格もなく、自らの足で確認してみることにしました。
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たまに拾うと「たまたまその時だけの話でしょ」、狭いエリアだけを拾うと「たまたまそこだけの話でしょ」と言われる方も多く、10近いコミュニティを通り抜け15km、盆正月関係なく拾って歩きました。

無理をせず、義務感を背負い込まず、惰性にならないような工夫は必要で、そこは試行錯誤しながらです。

最初の頃は拾うのが下手で、食べ残しや飲み残しが服や靴に掛かったりすることも多く、「明日は今日よりもっと上手に拾おう」というように、日々課題をもってやっていました。

それは、今も変わりません。

拾い始めた当初は、人様の目が気になりましたが、今は気になりませんし、気にしていたらできません。

「私も拾おうと思うのだけど、恥ずかしくて・・・」という女性に声を掛けられることもあり、その気持ちはよくわかります。
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「怒りがパワーになる」ということもありますが、ゴミ拾いは怒りの気持ちがあってはできません。

「なぜ、他人が食い散らかした、飲み散らかしたゴミを拾わなければならないんだ!」と思うと、ゴミなど拾えるものではありませんし、捨てた人に対して強く当たってしまう事もあるかもしれません。

それは、私のスタイルではないです。

私がゴミを拾っている姿を見て、ゴミを捨てる人がどう思うのかはその人次第です。

私(誰か)が毎日拾っていることに気付いていても、同じ場所に毎日捨てる人達もいます。

彼らに対して怒りの気持ちはなく、教育をされずにいい歳をした大人になってしまったことは、お気の毒だと思います。

躾をされていないのだからできないのは、人間もワンちゃんも同じです。

親が捨てれば子も捨てるのは当然です。

大人が手本になれないのです。

怒っても何も解決しません。
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とどのつまり「教育論」になるのですが、ゴミ拾い中に出会う人生の大先輩方は、皆さん厳しい論調です。

「ポイ捨てゴミ=子供(高校生以下)」と決めつけているシニアの方達が多いのですが、それは大きな間違いです。

歳が上になるほど性質が悪くなりますから。

教育論を語れるほど成熟した人間ではないので、自分は黙して拝聴していますが、子供ちゃんだけの責任にしている方には「それは、違います」と柔らかく意見させてもらっています。
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拾い始めてしばらくの間、コミュニティの方々には、警戒されていたと思います。

見ず知らずの胡散臭い男が、いきなりゴミ袋を持ってコミュニティに毎日やってくるわけですから、それは当たり前のこと。

奇異な目で見られていることは感じていましたし、職質のように声を掛けられることも何度かありました。

1年を過ぎた辺りから皆さんとよく話をするようになり、今日まで皆様に親切にしてもらっています。

「どこんしか?(どこの人か)」「仕事はなにしよんか?」「ゴミ拾っていくらもらいよんか?」「市役所んやつか?」などと、挨拶もなしに結構不躾な言葉を浴びせられることもありました。

「あそこにも落ちちょるやろうが。ちゃんと拾え!」と言われることもあれば、若い人とすれ違った時に、「俺は、ああいう偽善が嫌い」と言われたことも。

そういう方達は、どうやら私がゴミを拾っていることをよく思っていないのか、挨拶をしても無視されますが、最近は姿をお見掛けしなくなりました。

今では毎度おなじみとなり、皆さんと立ち話をし、私のような若輩に防止をとって丁寧に頭を下げて下さり、川の対岸からでも大きく手を振り、車中からもスピードを緩めて声をかけて頂き、中には手を合わせて下さるお婆ちゃんまでも。
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20,000kmまでは同じスタイルで続けていこうと考えていました。

しかしながら、20,001kmからについては、今のモチベーションだけでは難しいです。

拾った24時間後に拾った以上に捨てられる毎日を繰り返すだけでいいのだろうかと。

山河(海)にゴミを捨て、田畑に投げ捨て、人様のお墓やお地蔵様にも投げつける人が多い大分の町です。

このままで大丈夫なのか?
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ゴミが多い所は、命が亡くなる場所でもあるのです。

ゴミ拾いルート上では焼身自殺があり、首つり自殺があり、死体遺棄現場があり、溺死があり・・・。

ちょっと前にも自殺があったのですが、その前日にその人を対岸からお見掛けしていたんです。

焼身自殺と死体遺棄現場では、まさにそこのゴミをピンポイントで拾っており、そういう所はゴミが多いのです。

つい先日、いつもお会いするコミュニティの方に「以前、ここでどなたか亡くなりましたか?」とお尋ねすると、数年まに事故で亡くなられた方がいると。

「貴方、霊感とかあるんかい!?」と驚かれていましたが、それは霊感ではなく経験でわかるようになるのです。

毎年焼身自殺の日には、ゴミ拾い途中にお線香を1本、人間にひき逃げされた動物に出くわした時にも翌日にお線香を1本。(毎日そこのゴミを拾うので)

焼身自殺は、さすがにショックを受けました。

最近、子供ちゃんや若い人達の自殺のニュースを見聞きすると考え込んでしまいます。

一度、土手下で異様な空気を醸し出している自殺志願者(自称)を見かけ、「こんにちは」と声を掛け、結構長い時間話しをしました。

ゴミを拾っている理由を聞かれたので、私の胸の内を話しているうちに彼の顔色は良くなり、ご家族が待つ長崎に戻られました。

ママに怒られた子供ちゃんが、川の淵で泣いていることもありました。

最近、川で遺体を発見というニュースが多いのですが、「いつか自分も発見するのでは・・・」と思わなくもなく、覚悟というか心の準備はしています。
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大分の人達には興味をもたれない「孤高のゴミ拾い」なのですが、別に英語で書いていることもあり、海外からメッセージや質問を頂戴することがあります。

アメリカの新聞社の方から「10,000マイルゴミを拾い歩くなんて、インドの山奥で修行している僧侶でもできないことだ」とメールを頂戴しました。

その時に「世界で一番ゴミを拾い歩く人」として紹介してくれるということだったのですが、「20,000kmに到達するまでは」と保留にして頂きました。

「行為は自分のもの、評価は人のもの」でよいですが、「できることではない」「感銘を受けている」「長く生きてきて貴方みたいに人を初めて見た」「前人未踏の領域」と、人生の先輩方、外国の方々に言われて、正直悪い気はしません。

皆様にイロイロなお話しを頂戴するのですが、20,001kmからの方向性も決まっておらず、年内はじっくり考えるつもりです。

「4年以上、20,000kmも拾い歩いていると嫌でも目につくと思うのだが、大分というで町は何も変化が起きないのか?」というのが、皆様の疑問です。

私の周囲の大分人と大分を知っている人達は、「それが大分」と言います。

ゴミ拾い道中、多くの人生の大先輩方にお会いするのですが、政に携わっていた方、自治体OB、教育OB、ローカルメディアOB、ゴミ関係のお仕事をなさっていた方もいらして、皆様イロイロな話を聞かせてくれます。

「難しい町だな・・・」と、ブルーな気分になってしまうことも多く。
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本ブログのゴミ関係は、ネットの向こう側から届いたメッセージのアンサー的に意見を書いていることも多く、ポイ捨てゴミの件はネガティブなので、それを何度も書くとグチグチ文句を言う人のように思われるのではないかなと反省もしています。

一度やめようとしたのですが、「貴方が自分の足で得た事実を書かないで誰が書く」「記録を残すべき」というご意見を人生の先輩方から頂戴しましたので続けさせてもらっています。

グチグチ書くのはやめようと思います。
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長く続けられている一番の要因は、10年近く冷暖房なしの生活をしていることではないでしょうか。

最初の数年は大変でしたが、ここ5年くらいは風邪をひかず、冷暖房に慣れきった生活をしていたら、春夏秋冬毎日15kmの「孤高のゴミ拾い」(「孤高の登拝」も)はできなかったと。

まずはそこから始めることです。
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ゴミを20,000kmも拾い歩いていると、人様には見えないゴミを見つけることができるようになります。

前日に15kmのゴミ拾いルート上にあった小石がなくなっていることにも気づきます。

人間の心の裏側も見えてきます。

自分の心の深淵も。
怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう気を付けなければならない。 
深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめているのだ。 
~ニーチェ~
この町(国)のバケツには穴が開いており、漏れ落ちる以上の水を注ぎ続けることで維持しているのですが、日々その穴は大きくなり、このままでは近い将来底が抜けてしまいます。

ゴミを20,000km拾う私には、漏れ落ちる水の音が聞こえ、それが日々大きくなっていることがわかります。

地方創生・活性化・経済効果など楽しい話に向かう興味とエネルギーの少しを、バケツの穴を塞ごうと泥水・ヘドロの中に自ら手を入れる大分の絶対的マイノリティ達のために使って頂きたいと願います。
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大晦日まで20,000kmまでの反省、20,000kmからの姿勢について、この町への自分なりの貢献を考えます。
今後ともよろしくお願い致します。

20,000km続けられたことに感謝です。

~甲斐猛則 記~

もうひとつの軌跡

輝石と奇跡【霜月29日】孤高の登拝137度目(Going-to-the-God Trail)

Tuesday, November 29, 2016

輝石と奇跡【霜月29日】孤高の登拝137度目(Going-to-the-God Trail)

オリオン座をチラチラ見ながら西寒多神社に向かい、奥宮からは北斗七星を眺めながら清掃を始めた。
西寒多山(本宮山)の住人達は静かで、木々の囁き声だけが微かに聞こえてきた。

静かだが気配がないわけではなく、沢の反対側から何度か視線を感じることがあり、恐らく狸ではないかなと。
いつもの通り、奥宮入口道から掃き清める。

明るくなるのが遅くなったので、灯を口にくわえながらの作業は一時間となり顎が痛い。
暗い中での作業では、どうしても掃き残しが出てしまうので、スキルアップの努力をしなければならない。

冬至まではまだ時間があるので、まだまだ遅くなる。

顎のメンテナンスもしっかりと。
登拝を始めた頃は、お参りをするだけで清掃はしていなかった。

しばらくして拝殿前と磐座(石嶺殿)前の清掃を始めた。

その頃の奥宮は、放置状態というわけではないものの、手入れが行き届いているという状態ではなかった。

奥宮までは車で行くこともできるが、それでも管理者(氏子さん?)が小まめに管理するというのは大変な作業で、それは自分でやってみてよくわかった。(氏子さんへのリスペクトの気持ちは、常に持っている)

「孤高のゴミ拾い」と同じく「誰もやらない(やれない/できない)のなら自分が」ということで始めた。

晴れの日でも薄暗く、「氣」の通りも悪く、空気も澱み、「幽霊出る所やろ」と言われる有様だった。

写真は入口道の過去と現在だが、同じ道に見えるだろうか。
奥宮の中も薄暗く、枯葉が堆積していた。
なるほど、これでは人も寄り付かないし、西寒多の神もご実家である奥宮に戻ってきてはくれない。

「キレイにしていないと神様も寄り付かない」と、奥宮でお会いした登山者、ネットの向こう側の知らない方々が口にした。

「恐いので奥宮には下りて行かない」という女性登山者に会うこともしばしば。

ごもっともな、おどろおどろしい空間だ。
入口道から奥宮・磐座を休むことなく掃き続けて三時間、この時期は四時間を要する。

奥宮に「氣」と「風」を通し、お天道様と西寒多の神を迎える空間を取り戻すのに一年掛かった。
キレイにするだけでは戻すことはできず、夏は激しく虫の攻撃を受けながら、冬は寒さに耐えながら休まず続けなければならない。

鶴の恩返しのごとく、掃き清めている姿は人様に見られてはならぬ(なるべく)。

それは、お告げ的なことなのかも。
They are all perfect.

落葉一枚もないこのアングル(↓)が決まるとつい呟いてしまう科白だ。
美しく凛とした奥宮は、とにかく気持ちがよいのだ。
約二千年前(神社となる以前)よりこの地に住む民が崇めた磐座(石嶺殿)も輝きを取り戻した。

彼らは、一体何を祈っていたのであろうか?
写真では神秘感は表現できないが、肉眼で見ると赤色に輝いている。

ほんの数分の現象だが、この間、風は止み、鳥も鳴くのを止め、「しーん」という音だけが聞こえてくるのみ。

雪に覆われるとともっと美しい。

これが、古代よりこの地に住む民が継続してきた「絆」というものではないか。

口に出すと安っぽくなってしまうのが「絆」と「おもてなし」である。

「なぜ登拝を始め、そして三時間も清掃をしているのか?」とはよく聞かれること。

正直、小生にもわからない。

西寒多山(本宮山)から見える下界のゴミを毎日15km拾っている小生を上に導かれたのではないかと。

「其方が掃き清められよ」と。

生まれ持っての三日坊主と怠惰である小生が、丑三つ時に歩いて出かけ、真っ暗な登拝道を独りで登り、奥宮を掃き清め、ゴミを拾いながら自宅まで戻ってくることを、こんなに続けることができることは、奇跡としか言い様がない。

小生は、特別な信仰心があるわけではなく、特に山登りが好きなわけでもない。
雪の日は、もっと美しく輝く。
麓の西寒多神社は、常に美しく。
小生は週一度のことだが、西寒多神社の方々は、感謝の気持ちで毎日毎日繰り返しておられる。

奥宮から下りてくるとTさん(Tさん以外の方も)がいつも掃き清められており、そのお姿を毎週拝見させてもらっていなかったら、奥宮の三時間清掃は始めていなかったと思う。
大分の町も心身ともに美しくなればと。

祈りごとはせず、感謝の気持ちで自省と自戒を繰り返すのみ。

Monday, May 2, 2016

異次元の入口~西寒多神社・奥宮編~

西寒多山(本宮山)の奥宮に鎮座する磐座(石峰殿)は、『大分のメサ・ヴェルデ』であると私は認識している。大分の人達もあまり知らない、大分の隠れたパワー・スポットの話。

ところで、「メサ・ヴェルデ(Mesa Verde)」というコロラド州に存在する遺跡は、ご存じだろうか?まずは、その説明から。

その地に住んでいた約250人の民は、日々の生活のにおいを残したまま、ある時忽然と姿を消してしまった。現代で言うと、テレビは付けっぱなし、洗濯物は干したまま、250人が神隠しにあったというようなことである。

時は、13世紀後半、ヨーロッパではオスマン帝国が成立し、日本の幕府が鎌倉に置かれていた頃のアメリカの世界遺産『メサ・ヴェルデ(Mesa Verde)』での話だ。

ナバホ語で「古代の人々」という意味のアナサジは、紀元前数世紀に北米大陸南西部に定住し、独特の文化を築き始めた。アナサジの更なる古代の人々は、それよりもはるか昔、マンモスを追いかけてユーラシアからやってきた。洞穴に住居を構えていたが、その後、高度な建築技術を身に付け、土塀レンガで2、3階建ての家を作るようになり、その建造物は今でもしっかりとこのエリアに点在している。平均寿命は、30代前半だったということだ。

約2000年もの間、この地に生活し続けたアナサジは、1300年頃全てを捨てて姿を消すこととなる。学者による調査では、木の年輪などから1275年から1299年に南西部で大干ばつが続いたことが明らかにされているが、彼らが消えた原因は、未だもって不明である。文化・宗教・言語の研究から、現在アリゾナ・ニューメキシコ州に住むプエブロ・インディアンが、アナサジの子孫であると考えられている。

中国の『宋史天文志』、藤原定家の『明月記』などに記されている6500光年離れた場所で発生したカニ星雲爆発を、アナサジはニューメキシコ州の壁画に記録している。藤原定家については、実際に観測したわけではなく、陰陽師の口伝によるものだということだ。(爆発は『明月記』が書かれる100年前の1054年7月4日頃)

6世紀から7世紀にかけて、コロラド州・ユタ州・アリゾナ州・ニューメキシコ州の境界線が1点で交わる『フォー・コーナーズ・ポイント(以後、4C)』の周辺に移り住むアナサジがいた。
全米で4つの州が1点で交わるポイントは、ここだけである。周辺はスピリチュアル・エリアとしても有名で、鈴木光司さん著の『ループ』の中で、『リング』『らせん』でおなじみの主人公・貞子さんもこの地にやってくることとなる。
鈴木光司著。「リング」シリーズ 第3部。全人類がガン化される時、男はバイクでアメリカの大地に乗り出した・・・・・。全ての答えはここにある。(帯より)

 『ループ』では、「地質学的に見て、等高線の様子からある1点の重力が極めて小さくなっている場所がある。地下が巨大な空洞になっていれば、極端な重力異常の説明が容易につく」とある。そこには長寿の村が存在して、荒涼たる砂漠や渓谷に住居を定め、太古(アナサジの時代)から変わらぬ生活をする部族(ナバホ)がいる。

その1点というのが『4C』のことである。ニューメキシコ州・サンタフェ周辺で『ループ』と呼ばれる人工生命プロジェクの研究が行われているらしい。ネイティブ・アメリカンのミステリアスな民話を、ホラーではなくSF小説らしく解釈しストーリー展開している。

主人公が、バイク(600ccのオフロードバイク『XLR』)をLAまで空輸。LAからインターステート40号線をひたすらアルバカーキーに向けて東にぶっ飛ばす。憧れのアメリカでテンションが上がり、翌朝まで出発を待つことができず、22:00くらいにLAを出発し、深夜の単調なモハーベ砂漠を夜通し走り続ける。LAから6時間、メーターが300マイルを超えたところで早い朝食をとり、その後更に3時間走り続け、昼過ぎモーテルにチェックインしたとある。ここまでの道中で9時間ほどかかり、更にもう9時間走れば、アルバカーキに辿り着くと書かれてあることから、朝食を食べたのはアリゾナ州のキングマン、モーテルはフラッグスタッフ辺りであるということが推測される。翌日、更に東に進みアルバカーキへ。この辺りを夏場の日中にバイクで走ると体が焦げ体力を消耗する。アルバカーキで進路を北へとりサンタフェへ。そこから州道に折れロスアラモスに。(青ルート)
ここから先は、曖昧である。主人公は、無謀にも徒歩で深いロッキー山脈に入ったのだが、デジャブのように、以前ここに来たことのあるような錯覚に陥るのである。そして、「古き者」を探すために深い山中に足を踏み入れた。この先、ヴァーチャルなネイティブが水先案内人として主人公をどこかに導くのだが、結局、主人公はこの辺りで目的を果たしたようで『4C』には行っていない。(青囲みエリアと予測)

「(略) 96年の秋、角川書店の堀内と、2週間に及ぶアメリカ取材旅行に出かけた。物語の舞台をアメリカの砂漠地帯にしようと漠然と決めていたからである。レンタカーを借り、目的地を定めず、行き当たりばったりでアリゾナやユタの砂漠地帯を5000キロほど走り回ってきたのだが、その途中で立ち寄ったキャニオンランドの風景には圧倒された。地球とも思えない、水の浸食によって深く刻まれた大地を眺めるうち、想像力はかき立てられ、書けるかもしれないという思いがふつふつと湧きあがってきた。ふと渓谷の縁に立ち、はるか下の谷底を見下ろすと、『ループ』と名付けられた蛇行した川の流れがあった」(あとがき)

一方、異次元の入口を探す私は、貞子さん達に負けじと「デンバー・ルート(1度目)」と「ラスベガス・ルート(2-3度目)」(赤ルート)の両方向からメサ・ヴェルデを目指した。「ラスベガス・ルート」は、フーバーダムを通過し、キングマンからルート66に入り、グランドキャニオンを抜け『4C』を目指す。4度目は、是非「ループ・ルート」でMesa Verdeを目指したいと思っている。時間がない方は、飛行機で最寄のデュランゴに入るのがいいだろう。

緑(ヴェルデ)の台地(メサ)という意味のスペイン語であり、面積は81.4mi² (211km²) 、入口は コルテスの東約9マイル (15km) に位置している。ビジターズセンター は、入口から15マイル (24km) 先にあり、最も有名なチップインメサは、ビジターズセンターを通りすぎ、更に6マイル (10km) 奥だ。国立公園であり、1978年には、アメリカ唯一の建造物として世界遺産に登録された。

メサ・ヴェルデ遺跡の存在は、1874年には知られていたが、地元住民の間では「気味の悪い場所だから近づくな」と言い伝えれていた。1888年、牧場主リチャード・ウェザーリルが飼っている牛がこの辺りの谷に迷い込み、谷奥深くまで牛を探しに入り込んだところ『クリフ・パレス』を発見。以後、本格的な考古学的調査が始まるキッカケとなった。メサ(台地)の上からは住居群が見えないため、長い間発見されなかったということだ。

メサヴェルデに近づいてくると砦のような大きな岩が見えてくる。この麓に入口があり、ここから遺跡までが26kmだ。来るものを拒むかのような砦。なかなか簡単には「異次元の入口」に辿り着くことはできない。
この上から誰かに見張られているような、不思議な雰囲気を醸し出す岩山であり、「いよいよ来たな」と高揚感と緊張感を抱かせる。「メサヴェルデの番人」はきっとこの岩山の上から下界を見下ろしていたに違いない。

『クリフ・パレス』とは、岩窟住居による公園内最大の集落遺跡のことである。200室ほどあり、一番高いところの高さは、現代の4階建て相当にもなる。クリフ・パレス、ロング・ハウスなど主要な遺跡コンプレックスへの立入りは、公園レンジャーの引率によるツアー(有料)のみで許され、シーズン中は混雑するので朝一番にビジター・センターで申し込む必要がある。
夏は強い日射しを遮り、冬は下から吹き上げる冷たい風を避ける構造になっている。また、メサ(台地)に染み込んだ水が天井から滴り落ち、それを貯水するような工夫がなされ、豊富なミネラル飲料水を確保できた。建築技術・古代の英知を様々場所で見せ付けられる。
キヴァ(Kiva)と呼ばれる礼拝堂があり、そこに自分が探し求めた「異次元の入口」が存在するのだ。
キヴァは、地中に掘られた聖なる円形空間で、構造は彼らが信じるところによるこの世界の始まり方を象徴している。一番底辺部に小さな丸い穴が掘られており、その穴はメサヴェルデの住人達が、地下の「」の世界から集団で移住してくるために伝ってきた穴とされている。
このソフトボールほどの大きさの穴は「シパウ」「シパプニ」と呼ばれ、グランドキャニオンの壁面やプエブロの遺跡などにも存在している。

シパウから出たキヴァの底面は、2番目の「空気」「」「」「命の呼吸」の世界を現している。

そのまわりをぐるりと囲み、普段は儀式の時にメサ・ヴェルデの民が座る席になっている一段高い上がった所が、3番目の世界「」「血の流れ」を現す。

そして、キヴァの一番高い所が4番目の世界、つまり、今我々がが暮らしている「現世」ということになる。

キヴァの縁に腰掛けてみる。

キヴァの中から吹き上げる風にのって彼らの祈り声が「シパウ」から漏れてくる。彼らは新しい安住の地を求め、生活のにおいを残したまま、ここからどこか違う世界に行ったのかもしれない。または、飢餓・疫病、見知らぬ外敵が現れたのかもしれない。アメリカ大陸にコロンブスが現れる200年も前のことである。

しばし独りになり、クリフ・パレスのよく見える場所に座りこんだ。その時、確かに人の気配を感じた。タワー最上部の窓(赤○)から誰かがこっちを見ている。夕暮れの光で周囲の景が黒から赤茶色に変わるその時、誰かが視線の先を横切り、誰かの話し声が、生活音が聞こえたように感じたのだ。それを、確認するために再び、三度ここにやってきたというわけだ。
しばらくすると、警戒する様子もなくリスが寄り、すぐ傍に腰かけ自分を見つめた。
リスは何かを知っている。

話を大分に。

豊後一ノ宮『西寒多神社』の奥宮がある本宮山(9合目)に鎮座する磐座がそれだ。

縄文時代の頃、この辺りにも大分の先住民達が住んでいた。彼らはこの岩を自然崇拝の象徴として崇め、この岩から異次元の世界に行けるのだと信じていた。アナサジと同じく、やはりここでも下界では見えない力を感じることがある。強風で激しく木が音を立てて揺れていても、古代人の声を聞こうと磐座の前に静かに立つと、ピタリと風が収まり静寂な空間に包まれるのだ。

西寒多山の磐座は、どこに繋がっているのだろう?
大分の絶対的マイノリティはどこに向かうのだろう?

Saturday, April 2, 2016

オムニバス・ライフ~大分市・西寒多神社・本宮山編~

昨晩秋くらいから、神社や神社にまつわるミステリーな件、ゴミ拾いの件について多くの方達からメッセージを頂戴するようになりました。ありがとうございます。
自分は特別な信仰をもたず、特別な能力も持たず、ボランティアではない「孤高のゴミ拾い人」であります。

なんでも心霊に結び付けて考える人もいれば、そうでない人もいます。

真っ暗な山の中を独りで奥宮に向って登拝しているとイロイロとあるでしょう。TVとかで心霊スポットに行き、暗闇で音がすると「出たぁ!」となるでしょ。同伴している霊能者と言われる人までもが一緒になって。

山では風が吹けば音がしますし、夜に活動する動物もいます。

強風の暗闇では、木々がこすれ合う音が人の話し声に聞こえることもありますし、時に頭上から怒号を浴びせてくることもあります。

先日の登拝の時、通過した3秒後に木が倒れ谷下に落ちていきました。西寒多山(本宮山)登拝道と周辺では朽ちた倒木をよく見かけますが、そのほとんどが夜に倒れているのではないかと。登拝中、山のあちこちで木が倒れる音がするのですが、明るくなってからは聞こえず、目撃したことは一度もないです。

「恐くないのか?」と沢山の人に聞かれます。

恐い人にとっては、電灯がついている西寒多神社に独りで参ることも恐いのではないでしょうか?

そこから登拝道に入り、漆黒の沼(池)の横を通り上がっていくのです。

いちいち「出たぁ!」と騒ぐ人が、強風の真っ暗な山に入ると、気絶してしまうかもしれません。

何事も気持ち次第です。神体山に入っているわけですから、これ以上安心な場所はないと思っているのですが。

西寒多神社で「今から奥宮に向います。後程。」とご挨拶してから上がります。ここで大切なのは、「本宮山→西寒多山」「登山道→登拝道」に変換してもらうことをお願いしなければなりません。大分市の本宮山は、パラレルワールドになっているのです。

それで恐くなくなるのですよ。本宮山・登山道なら自分も恐いかもしれません。ただ、暗いので足元にくれぐれも注意なのですが、頭上にも要注意です。

登拝を始めてからみるようになった夢があるのです。

一つ目は、どこか知らない神社に登拝する夢。「いつかそこに行くことがあるのかな。楽しみにしておこう」と思っています。

二つ目は、西寒多神社参道の鳥居をくぐる時、端を歩いていると「真ん中を歩かれよ」という声がしたという夢。それ以来、真ん中を歩いています。

三つめは、登拝道を歩いている自分を遠くからのカメラ目線で見ている夢。その角度は、登拝中に「視線を感じるなぁ」と思っていた方向なのです。自分が自分を見ていたんですね・・・きっと。

真っ暗闇の山を歩いていると、感覚は研ぎ澄まされていくのではないかなと。山の住人達が近くにいると、鳥肌センサーが働くのです。今のところ山の住人達とはうまくやっています。鹿も自分からは逃げず、しばらく見つめあってから「通るよ」と心の中で話しかけるとゆっくり去っていきます。西寒多山に人間が入ってくると、山の住人達が教えてくれますし。


登拝を始めた理由は、未だによくわかりません。

ゴミを拾い始めて1年くらいたった頃、「今日はゴミを拾わず西寒多神社まで歩いて行ってみよう」と思い立ったのが最初でした。清々しい空間で、「凛」として気持ち良かったですね。時間軸もゆったりと。もうひとつの一宮・柞原神社は、「荘厳」とした感じがします。
それから週6日の通常ゴミ拾い、週1日の西寒多神社参拝(ちょっとゴミ拾い)となりました。

何度か西寒多神社を訪れるうちに、登拝道が気になるようになったのですが、奥宮(9合目)まで6kmと書かれているのを見て、「ちょっとなぁ・・・」と足が向くことはありませんでした。

しかしながら毎度毎度気になるので、「一度行ってみるか」と思ったのが、丁度2年前。

そこから始まった登拝です。
「お百度登拝」

週1回のローテーション崩さずに100回続けることができたら、何かひとつお願いごとをしようと。

1回も崩さずに100回続けることができたのですが、特にお願いすることもなく、100回続けられたことに感謝する気持ちだけでした。

最初は、奥宮社殿と磐座前だけを軽く清掃し、登拝道をゴミ拾いをしながら下界に戻り、ゴミを拾いながら帰宅していたのですが、ある時から奥宮入口道・奥宮全体を清掃するこようになりました。

夏はうっそうと木が生い茂り、枯葉は奥宮の「」の通りを悪くし、薄暗くおどろおどろしい空気を醸し出すようになりました。

「あなたが掃き清められよ」

自分が毎日ゴミを拾っている姿は、西寒多山からよく見えるのです。ゴミを拾って1年(約5,000km)続けられた時、西寒多の神は自分を選び、奥宮に導き、奥宮を清めることを命令ではなく感じさせたのではないでしょうか。

それ以外に、自分が朝2:00過ぎに起き、6km歩いて西寒多神社に向い、更に6km登拝道を上がり、1,5-3.0時間かけて奥宮を掃き清め、6kmゴミを拾いながら下界に戻り、そして6kmゴミを拾いながら帰宅をする理由が見当たらないのです。元々、自分はそういう事をするタイプの人間ではありませんでした。

「余計なことをして氏子さんに叱られかも」とも思いましたが、ご理解頂けるのではないかということで、続けさせてもらっています。

盆正月関係なく、天候・体調不良、用事でできない時以外は、毎日15kmのゴミ拾いを続けられているのも、登拝があってのことだと思っています。ゴミ拾いが先に始まったことなのですが、暑い夏、寒い冬も毎日人様の捨てたゴミを15km拾い続けるのは強い心が必要ですので、ボランティア活動としてなら1年が限界だったかもしれません。

今では、「インドの山奥で修行してる僧でもできないぜ」と、アメリカ某所で話題になることもある「孤高のゴミ拾い」です。

夜明けの奥宮は気持ちよく、西寒多の神との会話を楽しみながら清掃させてもらっています。

「人を頼らず、あなた独りで続けなさい」というお言葉を頂戴しました。

人をあてにすると、してくれない時に腹が立つものですが、自分の行動は自分のものです。怒りの感情をもってはゴミを17,000kmも拾い続けることはできません。ポイ捨てゴミは増え続け、憂う気持ちはありますが、それ以外の感情はなくなりました。

大分のマジョリティが選択した道です。

自分は、「絶対的マイノリティ」としての生き方を全うしたいと思っています。


日本の神様は優しくもあり、恐くもあるということは、登拝をしながら感じることはありました。

以前、「西寒多の虎」について書いたことがあります。満月の夜、西寒多山で木々がなぎ倒されていく瞬間を目撃した事のある人は少ないと思います。それは、畏怖です。

「本宮山・磐座に幽霊が出ると聞きましたが・・・」と、以前メッセージをくれた方がいましたが(その後、違う人から数件)、自分には霊感はないので何も見えませんし特別なチカラもありません。逆に磐座前に腰かけていると、あったかい感じがするんですけどね。
ゴミの多い所は、何人もの人間、動物たちが命を落とす場所でもあります。自分が把握しているだけで6人、動物にいたっては数知れず。当然、そこには人が寄り付かなくなり、更にゴミの捨て場となることで強い負の「氣」を発します。

自分はそこのゴミを毎日拾うわけでして、「憑かれるのではないか」と皆さんが心配してくれていました(今はしていませんが)。その点については、恐らく西寒多の神が守護してくれているものだと。それと、ゴミ拾い道中に沢山のお墓の前を通過しゴミを拾っていることで、そこにお眠りのこの地のご先祖様方が、自分に憑こうとしたものに「その人は違うぞ!」と声掛けしてくれているのではないかと思っています。お墓の前を通過する時、あったかい感じがするんです。

ゴミを拾い始めた頃は、見ず知らずの顔の濃いヤツがゴミ袋を持ってウロウロしているので警戒されることも多かったのですが、今は「あなたいい所に逝くわ」と言って下さる方もいますし、車中から手を合わせて下さる方もいます。人生の大先輩方が、自分ごときに丁寧に礼儀正しく頭を下げてくださいます。

日々感謝です。


自分は、神道は宗教だとは思っておらず、日本人としてマニュアルのようなものだと。

一般的に何をもってパワースポットというのかはわかりませんが、ゴミを17,000km以上拾い、107度も登拝を続けるということは、凄いパワーだと思うのですが、どうでしょうか?

皆さんの周囲にも自分の気持ちの持ち方ひとつでパワースポットになる場所はあるのではないでしょうか。

大分県・大分市には、素晴らしいパワースポットがまだまだ存在すると。
同じような内容のメッセージを頂戴するので、改めて思いつくことをそのまま書いてみました。以前の投稿内容と重複していることについては、お許し下さいませ。

【2017.9.22】ブログ休止のお知らせ

突然ではありますが、『孤高歩記』の投稿を休止することにしました。 ポイ捨てゴミについての私見を公開で記すことについては、「もういいかな(enough)」と考えています。ポイ捨てゴミについては、ネガティブな事案なので内容もそれっぽくなってしまい、それについては疲労感と云いま...