Friday, February 26, 2016

「氣」を通すとはこういう事

Before
Now
Before
 Now
Before
 Now
違いがわかりますか?

氏子さんではなく、宗教人でもなく、ボランティアでもない、ただの大分市民が、登拝道を上り当たり前のこととして毎週続けることに意味があるのだと、私は思っています。

一方、下界は毎日ゴミを拾い続けても増えるばかりで、大分の町には「氣」が通りません。どうしたものかと。

誰かのせいにしても、誰かをあてにしても「氣」を通すことはできないということは学びました。

何事も勉強だと思っています。。

Monday, February 22, 2016

They are all perfect.【平成28年如月22日】孤高の登拝102度目(Going-to-the-God Trail)

この一週間で随分明るくなるのが早くなった。先週の荒れ狂った嵐の登拝とは異なり、静まり返った西寒多山(現・本宮山)だった。
先人が1000年以上受け継いできた奥宮に「氣」を通し続けることの陰ながらのお手伝い。大きなお世話にならないことは心掛けたいと。この坂を50mほど下っていくと奥宮に。
今日も完璧に仕上げることができた。毎週1度のペースを崩さず、100度を目標に始めた登拝でしたが、101度目からは、イロイロな意味での「完璧(perfect)」を求めて、1度1度大切に続けていこうと思います。
神功皇后が三韓征伐の帰途に西寒多山に旗を掲げたことで信仰の対象となり、278年(応神天皇9年)4月に山頂に祠を建てたのが西寒多神社の起源と記されている。この地に住む古代人は、巨石群(石峰殿)を崇め暮らしていたのである。[参考]  完璧な組まれ方で崩れることなく鎮座している。
413年に国史に登場する奥宮。
1408年に現在の位置に遷座。
今年で1738年目になる西寒多の神の歴史である。今まで何人の宮司さん・氏子さんの手によって伝え伝守られてきたのだろうか?なかなか厳しい寺社の将来だが、次の世代に受け継いでもらえたらと願う次第である。
新しきを取り入れることは、「伝承」を途絶えさせるということではない。ちょん髷は切り落とされ、刀は取り上げられ、西洋化への革新が起こっても、途絶えることはなかった。海の向こうで長く暮らす中で教わり学んだことだ。
They are all perfect.

【2016.2.22】孤高のゴミ拾い(西寒多神社登拝道・参道ルート編): 16,914km/10,510mi

今日もまた登拝道沿いに散乱する投棄ゴミを回収しました。
コミュニティのお年寄りが「情けねぇ。警察に連絡する!」と怒っておられましたが、この地での警察沙汰は不似合いであると。

「いずれ罰があたりますよ」と言うと、「そうやな」と矛を収めて下さいました。「大分君」には「こんな町になってしまって申し訳ないです」と謝罪しておきました。自分が回収できる範囲でやっていきます。

 皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Friday, February 19, 2016

ツバメ第2陣飛来【2016.2.19】孤高のゴミ拾い: 16,902km/10,502mi

七瀬川下流(大分川との合流点付近)も春の雰囲気が出てきました。
くわえタバコの人がゴミを拾っている自分を見かけると、「お前なんて目に入ってねぇよ」と、透明人間扱いするとです。自分の前を歩くので後ろに張り付きました。後に気配を感じ捨てるに捨てられず、ギリギリまで我慢していたのすが熱さに耐え切れず、小走りで無理やり道路を横切りながら捨てていきました。

見えてたのね。

大体皆さん大きく目をそらすか、逃げるように去っていきます。
皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Thursday, February 18, 2016

けきょ♪【2016.2.18】孤高のゴミ拾い: 16,887km/10,493mi

霜で真っ白の大分川・七瀬川土手でした。そんな中、ボイストレーニング不足の鶯が鳴いていました。「けきょ♪」は大丈夫なのですが、「ほ~♪」の部分が上手に出ないのです。絶好調になるまでには、もう少し時間が掛かりそうです。
おじさん or おじいさん、土手沿いは公共のゴミ捨て場ではないですよ。
 若い人達、食べては捨て、飲んでは捨てはやめて下さいね。
皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Wednesday, February 17, 2016

勝海舟・坂本龍馬とすれ違う日【2016.2.17】孤高のゴミ拾い: 16,872km/10,484mi

文久3年2月17日、勝海舟・坂本龍馬一行は、鶴崎を出立し野津原に向けて肥後街道を歩きました。

その日の海舟日記に「八幡川あり、大抵一里半ばかり川堤に沿うて路あり。海道広く、田畑厚肥、桃菜花盛。関東の三月頃の季節なり。」と記されいます。

大分市の「サムライ道」。数年前、同じルート・同じ日程(7泊8日)で、大分市佐賀関~長崎まで歩いてみました。
自分のゴミ拾いルートの半分くらいは、この肥後街道沿線になります。152年前の今日、写真にある七瀬川の「七の瀬」(Map)を一行は渡りました。当時は竹藪に覆われた瀬だったようです。
 鶴崎を出立した一行は、ゴミ拾い中の自分とすれ違ったことでしょう。
自分とすれ違う時、ゴミが沢山入った袋を持って歩いている自分を見て、「おぬし、何をされておる?」と。

「町も人も随分と変わったものだ。命がけで幕府を倒し、新しい日本を作ったのは、果たして良かったのであろうか?」と、足を止め長崎に向わず引き返したかもしれません。

新しい日本になり、およそ70年で世界大戦に突入、敗戦しおよそ70年の今日、そして70年後はどのような日本になっているのでしょう。

多くの新しいモノを得て、それ以上に大切なモノを失ってしまったのかもしれません。
肥後街道(大分市南方)は、ゴミだらけです。この町を造ってきた先人へのリスペクトを忘ず、皆様のご理解とご協力をお願い致します。

Tuesday, February 16, 2016

大分市民の良心とは?【2016.2.16】孤高のゴミ拾い: 16,857km/10,474mi

多勢とまでは言いませんが、しかしながら決して少数でもない大分市民は、既に良心を失ってしまっており、その数は増え続けています。潜在的、または表っ面・体裁を整える整えるだけの市民までを含めると、なかなか厳しい現状であり、未来ではないかと、日々15km/16,857km拾って歩いた自分は危惧します。
道路の真ん中に大きなゴミが投棄され、多くの車が避けて通行していました。県外ナンバーのドライバーさんが止まって下さり下さりゴミ拾わせてくれました。5台ほど同じ県外ナンバー続き、住民でもないのに皆さん「ご苦労様(口の動きで)」と頭を下げて下さいました。
机の上だけ片しても、目立つ時・所だけ片しても、いつかはメッキは剥がれます。本物じゃないから剥がれるのです。
宣言したんですよね?(↓)絶対的マイノリティである自分は「慚愧に堪えがたい」現状なのですが、何とも思わない、感じない人の方がマジョリティを占めるこの町では、黙して拾い続けることしかできないのかもしれません。
アメリカの映画で悪徳警察官が、「天国へ行こうとして奉仕をするバカが多い」と言っていました。

更に、鍋・フライパンが入った家庭ゴミも投棄されていました。これから引っ越しシーズンに向けて、この手のゴミが大分川・七瀬川沿いに投棄されます。
ゴミ道中、沢山飴ちゃんを頂戴しました。いつもお心遣いありがとうございます。
ネガティブなことは書きたくないのですが、正しい情報がなかなか皆様に伝わらないため、「言挙げ」させて頂いております。正確な情報の共有が、解決への近道なのではないかと思っております。耳障り、目障りでご気分を害された方、大変申し訳ございません。口には気を付けるよう心掛けてまいります。

皆様のご理解とご協力をお願い致します。自省と自戒。

西寒多神社: 豊臣秀吉関連古文書

豊臣秀吉直書状(直書)写 天皇の意を受けて、関白秀吉が大友氏と島津氏との和睦を勧告したもの。 日付、宛名はないが、これとほとんど本文が同じ文書が天正13年(1585)10月2日付けで秀吉から島津氏宛に出されている。 本文書は同日付で秀吉から大友宛に出された「惣...