昨日は、暖かかったので外で飲み食いした人が多く、そのまま散らかし放題になっている場所が多かったです。
見晴らしの良い場所で飲み食いしたくなる気持ちはわからぬでもないのですが、彼らの多くは、ゴミが散乱しジメジメとした悪臭のする場所で食べるのです。
カナダ・バンクバーのニュース記事の中に「食育」の記事がありました。
10代の頃に一家団欒で食事をしている子供とそうでない子供には、メンタルヘルスに差が出るという心理学者の研究結果。
子供とのコミュケーション、特に食事を共にしてのコミュニケーションは大切なことであると。
何かを成し遂げなければ、将来のことで大きな決断をしなければらない必要性に迫られての「社会的圧力」「同調圧力(peer pressure: 同年代の人達と同じことをしていないと不安になる)」などのプレッシャーを感じる世代です。
そのプレッシャーから逃れるために喫煙やマリファナに手を出す10代の多くは、一家団欒での食事がないケースが多いのだそうです。
1日15 km/24,500 km以上ゴミを拾い歩いていると、ゴミの内容だけではなく、ゴミの捨て方一つで捨てた人の生活がわかるようになります。
何かに苛立っているような、荒っぽくゴミを捨てる人が多くなりました。
喫煙・アルコールは当たり前のこと、「これはレジを通してないのではないかな」という商品のパッケージなどが一緒に捨てられていることも珍しくありません。
大分市のゴミの看板に「ゴミには名前が書かれている」という標語がありますが、もっと深くわかるようなります。
彼らの捨てるゴミを見てコミュニティの方達は「親の顔が見てぇわ」と怒るのですが、私は彼らのことを気の毒に感じています。
一家団欒で楽しく食事をしている人は、あんな場所で食事をすることなどできません。
「大きなお世話」と言われればそれまでの話なのですが、大分市の皆様が思っているよりは深刻です。
道路や山河・海だけではなく、田畑や人様のお墓やお地蔵様にまでゴミを投げつけていくのです。毎日のことです。
何も考えずに捨てる人、ズルい考えで捨てる人、ストレス・怒りのはけ口として捨てる人、それぞれですが、ゴミを拾い歩きながら観察していると、ゴミ捨て人のことだけでなく、社会・コミュニティの共通点にも気付くわけです。
それぞれ家庭事情があり、一家団欒で食事することができない家庭もあるかとは思いますが、専門家の意見などを参考にして食育について考えて頂ければと思います。親御さんは、ご子息があんな所で食事をしていることはご存じないと思います。
ゴミも今よりは減少するはずですし。
ゴミと一緒に「涙」を拾うこともあります。涙は分別してゴミ袋には入れず、川に流すことにしています。
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