Wednesday, December 7, 2016

軌跡は奇跡【2016.12.7】孤高のゴミ拾い: 20,003km/12,429mi

お蔭様で「孤高のゴミ拾い」は、20,000kmを通過しました。

私はボランティアではなく、しがない「孤高のゴミ拾い人」です。

生まれ持っての三日坊主の私が、大分のゴミを20,000km拾い歩くというのは、奇跡的な出来事であります。

・肥後街道: 124km
・大分市佐賀関~肥後街道~長崎: 250km
・東海道: 500km
・奥の細道: 2,400km
・ルート66: 3,755km
・シルクロード: 7,000km
・母をたずねて3,000里(マルコ・ロッシ): 12,000km
・天竺まで(三蔵法師シルクロードコース): 15,000km
地球半周: 20,000km ←今ココ
・地球1周: 40,000km
・月まで: 380,000km
・イスカンダルまで(1974年): 14万8千光年(現在 15万7千光年)

【Auckland, New Zealand-Dubai, UAE】(世界最長の飛行ルート)
フライト距離: 14,193km/ 8,819 miles
フライト時間: 17時間20分
バウンド: Dubai
航空会社: Emirates (Boeing 777-200LR)
「まぁ~まぁ~拾っとるやないか」と思いますけど、ポイ捨てゴミは増えるばかりで結果を出せていません。

プロセスは大切ですが、結果を出せないということは、やってないのと同じことでもあると言えます。

「目的」が、いつの間にか「手段」になる悪い癖がある日本ですが、ポイ捨てゴミ問題にも同じことが言えるのではないでしょうか。
美徳(excellence)は、訓練と習慣の賜物である。 
我々は、あらかじめの美徳が具わっていたり、卓越した能力があるからこそ正しい行動ができるのではなく、正しい行動をするからこそ、美徳や卓越した能力が得られるのである。

我々が何であるかは、我々が繰り返し何を行ったかによって決まるのである。
それゆえ、美徳は行いではなく、習慣なのである。

~アリストテレス~
現在は、日々コツコツとゴミを拾う「習慣」よりも、いかに目立つように拾うかという「行い」が優先される(良しとされる)社会です。(ゴミ拾いだけのことではなく)

その結果、ゴミはいつも目立つ場所で拾われるようになり、机の上は一見キレイになったように見えるも、それは机の下に落としているだけなのです。

ある特定の場所のゴミが少なくなっても、人間の性根というものは簡単に変わるものではなく、違う場所(机の下)に捨てられているのです。

私は、「行い」の方々が拾わない机の下のゴミを20,000km拾ってきました。

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最初は、現在のゴミ拾いルートより長い距離を毎日走ったり歩いたりしていました。

その内、大分川・七瀬川の土手沿いのゴミが特に気になりはじめ、日々のゴミが増え続けることに見て見ぬふりができなくなってきました。

そして、レジ袋を持って拾い始めたのですが、それではどうにもならない状態でしたので、大きなゴミ袋を持って歩くようになりました。

現在は、毎日拾っているので完璧ではないにしろ、拾い始める以前に比べると雲泥の差です。(ルート周辺のコミュニティの方々に聞いていただければわかります)

この町に住んでいると、耳障りのいことばかりが耳に入ってくることが多く、しかしながら現実とは異なることも多々あり、それはポイ捨て問題も同じことで、口だけ出して何もしないというのでは意見する資格もなく、自らの足で確認してみることにしました。
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たまに拾うと「たまたまその時だけの話でしょ」、狭いエリアだけを拾うと「たまたまそこだけの話でしょ」と言われる方も多く、10近いコミュニティを通り抜け15km、盆正月関係なく拾って歩きました。

無理をせず、義務感を背負い込まず、惰性にならないような工夫は必要で、そこは試行錯誤しながらです。

最初の頃は拾うのが下手で、食べ残しや飲み残しが服や靴に掛かったりすることも多く、「明日は今日よりもっと上手に拾おう」というように、日々課題をもってやっていました。

それは、今も変わりません。

拾い始めた当初は、人様の目が気になりましたが、今は気になりませんし、気にしていたらできません。

「私も拾おうと思うのだけど、恥ずかしくて・・・」という女性に声を掛けられることもあり、その気持ちはよくわかります。
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「怒りがパワーになる」ということもありますが、ゴミ拾いは怒りの気持ちがあってはできません。

「なぜ、他人が食い散らかした、飲み散らかしたゴミを拾わなければならないんだ!」と思うと、ゴミなど拾えるものではありませんし、捨てた人に対して強く当たってしまう事もあるかもしれません。

それは、私のスタイルではないです。

私がゴミを拾っている姿を見て、ゴミを捨てる人がどう思うのかはその人次第です。

私(誰か)が毎日拾っていることに気付いていても、同じ場所に毎日捨てる人達もいます。

彼らに対して怒りの気持ちはなく、教育をされずにいい歳をした大人になってしまったことは、お気の毒だと思います。

躾をされていないのだからできないのは、人間もワンちゃんも同じです。

親が捨てれば子も捨てるのは当然です。

大人が手本になれないのです。

怒っても何も解決しません。
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とどのつまり「教育論」になるのですが、ゴミ拾い中に出会う人生の大先輩方は、皆さん厳しい論調です。

「ポイ捨てゴミ=子供(高校生以下)」と決めつけているシニアの方達が多いのですが、それは大きな間違いです。

歳が上になるほど性質が悪くなりますから。

教育論を語れるほど成熟した人間ではないので、自分は黙して拝聴していますが、子供ちゃんだけの責任にしている方には「それは、違います」と柔らかく意見させてもらっています。
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拾い始めてしばらくの間、コミュニティの方々には、警戒されていたと思います。

見ず知らずの胡散臭い男が、いきなりゴミ袋を持ってコミュニティに毎日やってくるわけですから、それは当たり前のこと。

奇異な目で見られていることは感じていましたし、職質のように声を掛けられることも何度かありました。

1年を過ぎた辺りから皆さんとよく話をするようになり、今日まで皆様に親切にしてもらっています。

「どこんしか?(どこの人か)」「仕事はなにしよんか?」「ゴミ拾っていくらもらいよんか?」「市役所んやつか?」などと、挨拶もなしに結構不躾な言葉を浴びせられることもありました。

「あそこにも落ちちょるやろうが。ちゃんと拾え!」と言われることもあれば、若い人とすれ違った時に、「俺は、ああいう偽善が嫌い」と言われたことも。

そういう方達は、どうやら私がゴミを拾っていることをよく思っていないのか、挨拶をしても無視されますが、最近は姿をお見掛けしなくなりました。

今では毎度おなじみとなり、皆さんと立ち話をし、私のような若輩に防止をとって丁寧に頭を下げて下さり、川の対岸からでも大きく手を振り、車中からもスピードを緩めて声をかけて頂き、中には手を合わせて下さるお婆ちゃんまでも。
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20,000kmまでは同じスタイルで続けていこうと考えていました。

しかしながら、20,001kmからについては、今のモチベーションだけでは難しいです。

拾った24時間後に拾った以上に捨てられる毎日を繰り返すだけでいいのだろうかと。

山河(海)にゴミを捨て、田畑に投げ捨て、人様のお墓やお地蔵様にも投げつける人が多い大分の町です。

このままで大丈夫なのか?
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ゴミが多い所は、命が亡くなる場所でもあるのです。

ゴミ拾いルート上では焼身自殺があり、首つり自殺があり、死体遺棄現場があり、溺死があり・・・。

ちょっと前にも自殺があったのですが、その前日にその人を対岸からお見掛けしていたんです。

焼身自殺と死体遺棄現場では、まさにそこのゴミをピンポイントで拾っており、そういう所はゴミが多いのです。

つい先日、いつもお会いするコミュニティの方に「以前、ここでどなたか亡くなりましたか?」とお尋ねすると、数年まに事故で亡くなられた方がいると。

「貴方、霊感とかあるんかい!?」と驚かれていましたが、それは霊感ではなく経験でわかるようになるのです。

毎年焼身自殺の日には、ゴミ拾い途中にお線香を1本、人間にひき逃げされた動物に出くわした時にも翌日にお線香を1本。(毎日そこのゴミを拾うので)

焼身自殺は、さすがにショックを受けました。

最近、子供ちゃんや若い人達の自殺のニュースを見聞きすると考え込んでしまいます。

一度、土手下で異様な空気を醸し出している自殺志願者(自称)を見かけ、「こんにちは」と声を掛け、結構長い時間話しをしました。

ゴミを拾っている理由を聞かれたので、私の胸の内を話しているうちに彼の顔色は良くなり、ご家族が待つ長崎に戻られました。

ママに怒られた子供ちゃんが、川の淵で泣いていることもありました。

最近、川で遺体を発見というニュースが多いのですが、「いつか自分も発見するのでは・・・」と思わなくもなく、覚悟というか心の準備はしています。
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大分の人達には興味をもたれない「孤高のゴミ拾い」なのですが、別に英語で書いていることもあり、海外からメッセージや質問を頂戴することがあります。

アメリカの新聞社の方から「10,000マイルゴミを拾い歩くなんて、インドの山奥で修行している僧侶でもできないことだ」とメールを頂戴しました。

その時に「世界で一番ゴミを拾い歩く人」として紹介してくれるということだったのですが、「20,000kmに到達するまでは」と保留にして頂きました。

「行為は自分のもの、評価は人のもの」でよいですが、「できることではない」「感銘を受けている」「長く生きてきて貴方みたいに人を初めて見た」「前人未踏の領域」と、人生の先輩方、外国の方々に言われて、正直悪い気はしません。

皆様にイロイロなお話しを頂戴するのですが、20,001kmからの方向性も決まっておらず、年内はじっくり考えるつもりです。

「4年以上、20,000kmも拾い歩いていると嫌でも目につくと思うのだが、大分というで町は何も変化が起きないのか?」というのが、皆様の疑問です。

私の周囲の大分人と大分を知っている人達は、「それが大分」と言います。

ゴミ拾い道中、多くの人生の大先輩方にお会いするのですが、政に携わっていた方、自治体OB、教育OB、ローカルメディアOB、ゴミ関係のお仕事をなさっていた方もいらして、皆様イロイロな話を聞かせてくれます。

「難しい町だな・・・」と、ブルーな気分になってしまうことも多く。
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本ブログのゴミ関係は、ネットの向こう側から届いたメッセージのアンサー的に意見を書いていることも多く、ポイ捨てゴミの件はネガティブなので、それを何度も書くとグチグチ文句を言う人のように思われるのではないかなと反省もしています。

一度やめようとしたのですが、「貴方が自分の足で得た事実を書かないで誰が書く」「記録を残すべき」というご意見を人生の先輩方から頂戴しましたので続けさせてもらっています。

グチグチ書くのはやめようと思います。
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長く続けられている一番の要因は、10年近く冷暖房なしの生活をしていることではないでしょうか。

最初の数年は大変でしたが、ここ5年くらいは風邪をひかず、冷暖房に慣れきった生活をしていたら、春夏秋冬毎日15kmの「孤高のゴミ拾い」(「孤高の登拝」も)はできなかったと。

まずはそこから始めることです。
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ゴミを20,000kmも拾い歩いていると、人様には見えないゴミを見つけることができるようになります。

前日に15kmのゴミ拾いルート上にあった小石がなくなっていることにも気づきます。

人間の心の裏側も見えてきます。

自分の心の深淵も。
怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう気を付けなければならない。 
深淵を覗き込む時、その深淵もこちらを見つめているのだ。 
~ニーチェ~
この町(国)のバケツには穴が開いており、漏れ落ちる以上の水を注ぎ続けることで維持しているのですが、日々その穴は大きくなり、このままでは近い将来底が抜けてしまいます。

ゴミを20,000km拾う私には、漏れ落ちる水の音が聞こえ、それが日々大きくなっていることがわかります。

地方創生・活性化・経済効果など楽しい話に向かう興味とエネルギーの少しを、バケツの穴を塞ごうと泥水・ヘドロの中に自ら手を入れる大分の絶対的マイノリティ達のために使って頂きたいと願います。
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大晦日まで20,000kmまでの反省、20,000kmからの姿勢について、この町への自分なりの貢献を考えます。
今後ともよろしくお願い致します。

20,000km続けられたことに感謝です。

~甲斐猛則 記~

もうひとつの軌跡

輝石と奇跡【霜月29日】孤高の登拝137度目(Going-to-the-God Trail)

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